開催されました
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生野高校退官後の感想 打越一夫 昭和四十年四月より平成三年までの二十七年間、生徒達と苦楽を共にし た。学園紛争、制服問題等の激動の時代、忘れ難い人々との出会い等の人生の足跡は、私にとって大きな意味を持っています。 昭和四十四年大学紛争が下火となり、その後遺症として、四十三年秋か ら四十四年春にかけ、高校紛争が起こる。生野高校にも当時の社会の風潮による学園紛争が始まり、教員室封鎖事件にまで発展した。詳細は七十周年史を一読さ れればわかる。 平成十一年七月十七日に図書室にて八十周年事業の一貫である懇談会が 開催された。その折り、生徒の制服の変わりように他校へ来たのではないかと、一瞬自分の目を疑った。私の在職時代にも制服問題が取りざたされた。時代の変 遷とはいえ、いかなる過程で現在の制服に変わったのか知りたいものである。 職員会議の在り方も変わったときく。この件も在職時代に出た議題であ るが、学校職員という立場から考えると当然と思えるが、どのような社会でも職種というものがあるのではないか。職種とは差別にはつながらないと思うのであ る。 次にあげるのは宿泊校外学習のことである。一年次のはじめ実施されて いた宿泊校外学習がなくなったと聞く。これが設立された理由については、資料集を見てもらえばわかると思う。また二年次の宿泊校外学習が、修学旅行に変 わったと聞くが事実だろうか。先の懇談会で話題に出てきた思い出として、宿泊校外学習での登山などの苦しい体験が、懐かしい思い出として残っているという ことであった。このときの話題は、記念集に掲載されると思う。 次に生野高校の進学率低下のことである。毎年発行される「毎日新聞」 の全国有名高校の進学数を見ると、生野高校の有名大学進学率の低下が目に付くのである。公立校を避けて有名私立校に流れる理由はどこにあるのか。 私は生野高校より私立校に移ったのであるが、公立校との授業の取り組 みが異なっているのには驚いた。この紙上で、この点について書く余裕がないのが残念である。 最後になるが、生野高校の伝統は「常によりよい後輩を育成する気風が ある」事である。輝かしい伝統を持つ生野高校の八十周年記念行事を成功させるために、卒業生諸君のご協力をお願いする。 喧しい文となったことを容赦されたい。 現在の心境を一句贈る。 胸はりて 希望を語る 教え子の あの日あの 時 思い出深く
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